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2021年度 第1回 教育の質保証・質向上オンラインセミナー

2021年6月24日(木)に実施された2021年度 第1回「教育の質保証・質向上オンラインセミナー」の内容をまとめております。

最下部に動画もご用意しておりますのであわせてご覧ください。

いまさら聞けない「教育の質保証」ポイント解説!

質保証のテーマはとても幅が広く、かつ曖昧としているけれども、具体的に求められている事項は非常に多いといえます。今回は、質保証を考えていく上で何が大切なのか、どんなところが大変なのかを、経験ベースでお話ししていければと思います。あふれる難しい情報を少しでも整理でき、「こんなことをやればいいのか」ということが共有できれば幸いです。

教育の質保証のイメージ

まずは、質保証についての私の個人的なイメージを、教育の文脈を外して語ってみたいと思います。焼き鳥を食べに行って、雨漏りがしていたらどうでしょうか。あるいは、生焼けで出てくる、客がうるさくて肉が食べられない、こんな状態があったら、この店に行こうとは思いません。

これを、大学教員や学生というイメージで考えてみましょう。お店では気持ちよく飲食をしたい。そのためには、お店がずぶ濡れの状態ではまずい。生焼けで出すのはさすがにまずい。騒ぎすぎて周りに迷惑をかけすぎるのもまずい。とりあえずお肉は焼きましょう。とりあえず騒ぐのはやめましょう。こういう最低限のところを守っていくような環境や、料理人の技や、お客さんのルールを持つことが、質保証というものではないかと思うわけです。

質保証の話をすると、「金太郎飴を作るつもりか」というご批判や「私はこれでやってきた。これも個性だ」というロジックが出てきます。しかし、ここはまず「焼く」ということが大事。その上で、塩にするか秘伝のたれにするか、七味をかけるのか、そこが個性や特色を出していく「質向上」の部分になります。個性をつぶすということではなく、まずはお店としてお客さんに気持ちよく食べてもらえる最低限の状態をつくりませんか?というのが「質保証」。その上で「やっぱりここは最高だ」と思ってもらうために、「質向上」がある。こう考えてみてはどうかと思うのです。情報が飛び交う時代だからこそ「ただ焼くだけでは駄目だ」「焼き方にも工夫が必要なのでは」と、質保証のベースがどんどん上がってきているのも確かです。

では、教育の質保証を5つのポイントで説明してみましょう。

1.質保証の背景を理解する

少子高齢化や産業構造の変化、初等中等教育の変化などにより、大学教育を取り巻く環境が大きく変わってきました。社会の一員である大学も、教育の中身の変革が求められています。知識伝達型講義の限界もあるでしょう。しかし、教員が努力をしても、隣に変わらない人がいる場合、個人でカバーできることには限界があります。加えて大学経営の厳しい現状もある。これらを鑑みると、やはり新たな大学教育のシステム構築が不可欠でしょう。質保証、質向上の仕組みを大学として持っておかないと、この状況の中ではしっかりと運営できないということになります。

2.教育の質保証を理解するー内部質保証とは

教育の内部質保証を、文教政策的な文脈で考えてみると、「大学が教育活動等を自律的・継続的に点検・評価・改善し、その質を維持・向上させる営み」ということになります。代表的な認証評価機関で定義されている内部質保証の構成要素は3つ。PDCAサイクルを回すこと、教育の質を維持・向上させること、そして、自律的・継続的なプロセス、この辺りだと思います。

この中で、大学基準協会は「適切に機能」、「適切な水準」という言葉を用いていますが、ここが非常に難しいのです。適切性は、結局は各大学の状況、文脈によるので、それをどう判断するかというところで苦労があります。また、「機能」という言葉も重いといえます。文書や体制があることは示せても、機能しているかどうかを示すのは難しい。しかし、これからの第3期、第4期の認証評価においては、ここが大きく問われることになるでしょう。もう一つ、この質保証を考える上で難しいのは、プロセスのことを示すのか、ある水準に到達していることを言うのか、非常にわかりにくいということ。そのために混乱も多いといえます。

保証される教育の質は、インプット、アクション、アウトプット、アウトカムズの4層に分かれています。インプットやアクションは大学側が提供するものですが、これらを提供しただけでは外質が保てていることにはなりません。それを受けた学生が学習成果を積み上げ、大学が把握して確認するところまで含めて質保証と言うため、混乱があり、難しさがあります。人対人だということが、ものづくりの質保証との大きな違いといえるでしょう。

では教育の質を、大学の中でどう考えていけばよいのでしょうか。私学助成の補助金の配分に関する資料「教育の質に係る客観的指標」には、3つの領域に対してそれぞれ項目が並べられています。おそらく、お金を取ってくる立場の職員の方は、まずここを見て、チェックリスト的につぶしていこうと考えるでしょう。しかし、やみくもに、どんどん個別に進めてしまうのはよくありません。全体の構造とそれぞれの関連性を理解し、その中で優先順位をつけていかないと、よい教育にならないと強く感じます。私としては、教学マネジメント、学修成果、IR可視化、この辺りをキーワードに、まず自分の大学で整えられているかどうか、確認するところから始めるのがよいと思います。

3.3つのポリシーの一貫性・整合性を担保する

教育の質保証の枠組みや構造を考えるとき、ディプロマ・ポリシー(DP)、カリキュラム・ポリシー、アドミッション・ポリシーという3つのポリシーの一貫性・整合性を担保することが帰着点になると思います。ただ、見ていて混乱するのは、全学と部局の一貫性が取れていないケースです。全学できれいに作っているけれども、学務のDPは、全学とは切り離されたものが並んでいる、横の学部間の統一感もないというのを、たまに目にします。学部自治が強すぎるという問題が裏側にあるのかもしれませんが、全学的なレイヤーと部局のレイヤーを合わせながら検討していかないといけません。

法制上は、この3つのポリシーを明文化するところまでですが、実際にはこれが教学マネジメントの核になってきます。これが実際のカリキュラムや授業につながっていかないと、単なる文章になってしまう。カリキュラムマッピングやコースツリー、シラバス改善といったところに連動させ、その一貫性や整合性を授業レベルまで落とし込んでいかなくてはいけません。それには道具となる構造、建て付けが必要です。やはり全学の意思決定権者が、「この構造で、このように行う」ということをしっかり示していく必要があると思います。

4.学習成果アセスメントに関する方針を定める

大学によっては、3ポリシーの中に学習成果、教育成果に関する情報が十分に記載されていない例が結構あります。ガイドラインでは、「学習成果の評価に関するもの」というのが入っているにもかかわらず、実際に学部のカリキュラム・ポリシーには書かれていない、あるいは、書いていても「単位120、規定単位を取ればOK」というだけで終わっているところも少なくありません。この中身の評価のところが、認証評価では弱い部分です。

これについては、3つのポリシーに加えて、アセスメントのポリシーやアセスメントプランという形で明示している大学も増えてきています。「私たちの大学では、こんな形で評価していく」というものを、きちんと見せていくことが重要です。

では、学習成果指標については、何を扱えばよいのでしょうか。高等教育の質保証のための学習成果指標というのは、単純ではなく、これだけをやればよいという特効薬はありません。結局は、この目的であればこれがベターというものを決めておくことになります。そのためにはいろいろなツールがあるということを知っておく必要がありますし、その特徴、利点や欠点を押さえておくとよいでしょう。

ここでよくあるのは、学生一人に対して過重な調査が行われるということです。アセスメントというだけで、何か新しく調査をしなければいけないという意識がはたらきがちですが、ここは全体として最適化されていくようなアセスメントの設計が必要と考えます。学生が教育を受けていく中で自動的に蓄積されている教務データも、見方を変えれば非常にリッチな情報になる。そういう基本的なところをきちんと押さえていけばよいのです。

5-1.教学IRの定義と実践上のポイント

そうはいっても、誰がどこでどうやって決めて判断して実行していけばよいのか。質保証の中では、教学IRを実効化させていくのが一番の近道だろうと思います。パワーの弱い全学が部局に対して、いま大学がどうなっているのかきちんと説明していくためにも、データに基づく意思決定支援、教学IRというのは極めて重要です。

私の経験上、大事だと考えるポイントをお話ししましょう。1つ目は、自大学の文脈に応じた指標を絞り込むこと。指標というのはとろうと思えばいくらでもとれますが、いくらデータをとっても使えなければ意味がありません。分析できる人を外から持ってきてもうまくいかないのは、その大学のことを知らないからです。IRにおいて重要なのは、高等教育の世界や、その大学の文脈を理解できていること。それが結局は、分析する上でも、それを学内に普及させていく上でも効いてくるのです。

学生の学びを多面的に把握し、教育改善に生かす上で、間接評価も重要です。アセスメントテストを多くやっているところよりも、ポートフォリオをしっかりやっていたり、間接評価や定性的なものを大事にしているところのほうが、PDCAサイクルがきっちり回っている印象を受けます。

2つ目は、構造的な問題として、データ分析のためのハード面の問題もあるでしょう。また、全学が部局のデータを利活用するためのルールづくりなど、ソフト面での整備も必要になってきます。システム構築はお金も時間もかかりますので、まずソフト面から進めていくというのも一つかと思います。

3つ目は組織体制についてです。意思決定のプロセス、全学と部局の連携、人員確保、育成等の整備を行うことなどがあります。ここで強調したいのは、教職協働による推進が重要だということです。FDはどちらかというと教員主導、SDは職員主導です。そしてIRというのは、両方が渾然一体となって進めていくのが非常に有効だと思います。私も関西大学で教学IRや全学IRを進めていますが、教職協働の大切さを大いに感じています。職員の方はルールや予算を考えるのが得意。一方、教育的に意味があるのかを考えるのは教員のほうが長けています。杓子定規なチェックになってしまわないよう、教職協働の体制をどうつくれるかがポイントです。そのためにも、大学執行部のリーダーシップが不可欠です。

「うちの大学は無理だ」「リーダーシップがない」と思う方もいるかもしれません。その場合は、まず小さなところから始めるのがよいと思います。1つの部局でもいいし、1つのテーマでもいい。まず自分たちでやってみて、報告してみると、少しずつ理解してくれる人が増えていきます。そうして徐々に全学的な枠組みの話に持っていくのがよいでしょう。

5-2.日常の疑問をIRの問いへと変換する

いざやるとなったときに、とても大事なのが、このリサーチクエスチョン(RQ)です。よいリサーチクエスチョンを持っているところは、よいIRが展開されています。そしてそのリサーチクエスチョンの手前には、例えば「推薦やAOで入った学生は、入試で入った学生に比べてどうなの?」というような日常的な疑問があり、実際に出してみたら「思ったほどの違いはなかった」ということになったりします。そういう先生や職員の方たちの素朴な疑問をしっかり拾い上げて、RQの形へと変換し、そこにデータを当てていくことで、IRが回っていく。何か難しい分析をしなければいけないとか、分析のスペシャリストがいなければいけないわけではないと、私は考えています。

中退や留年の学生の予防についても、ほぼ教務データで扱うことができますし、国家試験の合格率を上げたいということであれば、「合格する学生と合格しない学生のパフォーマンスがどう違うか?」といった、IRの問いに変換していけばよいのです。そこさえできれば、「このデータ使えるかも」というものがどんどん出てきて、「キャリアセンターやアドミッションセンターとつながろう」という話にもなっていきます。シビアな問題については、少し丁寧に見ていきながら、こんなふうに自分たちの大学の質の保証をやっていくことが望ましいと考えます。

5-3.実質化の鍵はデータに基づく対話

教学マネジメントを実質化する上で、外部評価や補助金獲得だけを目指しているところは、いくらスコアが高くても、あまり素晴らしいとは思えません。それよりも、学生のみんなが進んで挨拶をしてくれるような大学は「いいな」と思う。そういう、人を相手にしているところを大事にしたいというのが、私の大前提です。

IRというのは、組織横断的なデータや共通言語を持つことによって意味が出てきます。学部ごとに「うちは違う」というのではなく、大学全体として学生のことを知り抜くことが、質保証の大前提です。いろいろなデータや共通言語を使い、経験や感覚を入れながら、学生が学び成長できているのか徹底的にこだわり抜いていくのが、質保証の一番大事なアプローチです。データがこうだから全て真だとは思いません。先生たちの経験や感覚のほうがそこを上回ってくることもあるからです。

ですから、キーワードは「対話」です。対話を抜いた機械的なチェックというのは、大学を疲弊感で満載にし、やる気を奪ってしまいます。そこに圧力がかかると、大学はどんどんしんどくなっていきます。こうならないためにも、どうすれば対話を促せるかということを考えていく対話のマネジメントが、質保証には非常に重要だと考えます。その上で、データというものが、テーブルの上に乗っていく、それぐらいのイメージです。決してデータドリブンで動けるわけではないということです。

改めて「教育の質保証とは」ということで、私なりの表現をすれば、「学生が大いに学び成長し、社会に羽ばたくために、教職員が公正・公平な教育・学習環境を創造・提供して、大学がその持続的・効果的運用のために備えるべき仕組み」であると考えます。なんでもかんでも質保証にはめ込んでいく必要はありませんが、学生、教職員、大学、それぞれのアクターがこんなふうに質文化を形成していくということが、これから5年10年と、しっかりこの時代の中で立ち向かっていける、大学が備えるべきものではないかと思います。

飯吉先生インタビュー

飯吉:教育の質保証とは、どのようなものでしょうか。電化製品などでは、よく「1年間保証」というものが付いてきますが、それで「質保証がされている」とは必ずしも言えないわけです。例えば、いざ壊れたときに「新しいものと交換します」といっても、送ってくるのに1カ月もかかったり、次もまた不良品だったりすれば、満足感は得られません。

質保証というのは機動的、臨機応変に、その人の満足感を持続させていくために、あの手この手で対応することだと思うのです。保証書に書いてあることが質保証ではないはずです。学生の満足感でみても、3ポリシーがあるから、それで質保証ではないと考えますが、いかがでしょうか。

山田:電化製品であれば、作る側のゴールは一つ。完成された商品が使えるか壊れたかというところだけの世界です。しかし、学生も教員も本当にさまざま。その中で何か一定の質というラインをとることは、電化製品に機能をつけることとはレベルが違う問題です。

ただ、「とりあえず肉は焼く」、ここに関しては、どの先生であっても必要だと言えるのではないでしょうか。教員がイメージする質と学生がイメージする質のギャップもあるでしょう。提供するものが学生の質へどうつながるかという議論もあります。しかし、まずいったんわれわれは教育学習環境を提供する側として、雨漏りが起きていないか、最低限焼けているかどうか、この視点はあってもいいのではないかと思います。それでも満足しない人たちがいれば、「それなら、自分たちでお店を作ってはどうか」くらいの感じでいいと思うのです。

飯吉:大学によっては、「俺たちはレバ刺しとかユッケが食べたい」という学生もいるわけです。そこまで教員が対応しないと教育の質保証といえないのかは、なかなか悩ましいところではありますね。

もう一つありがちなのは、とるデータの種類を増やせば、よりよくわかるだろうといって、種類をどんどん増やしていくことです。その結果、負担が過重になってみんなが疲弊してしまいます。

健康診断の例を挙げれば、血液検査一つとっても、昔と今では全然わかることが違ってきています。しかし、それは分析方法の進化であって、血液をとられるという被験者側の立場としては全然変わらない。それなのに、今やっているのは、血液だけでなく、唾液もとりましょう、毛髪も尿もとりましょうとどんどん増えていって、検査に行くと2時間かかったというような話なのです。同じものでも見方を変えるだけで、非常にリッチなデータになるわけですから、そこをもっと考える必要があります。

山田:血液を定期的に抜き取られても、どういう状態にあるか教えてくれない。結果を返してくれずに、血だけが抜かれるような部分もありますね。

飯吉:分析結果を見せられたとして、次の年も同じ値で改善されていないこともあります。教育の大変なところは、本来、そこが良くなるということをもって質が保証されていると言わなくてはいけないところです。1年ごとに定期診断をやっているから、それで質保証されているというわけではない。そこをどう担保するかが課題です。

山田:そうですね。学習成果が獲得されているかを、目標に照らして評価するのが教育成果なので、定期的に健康診断をするだけでは、質が保証されているとは言えない難しさがあります。

けれども、それ自体、質保証の一つのレイヤーとしてはあると思うのです。「まずは全学的に健康診断を定期的にやりましょう」というのも、1階部分としては質保証の大事な要素だと思います。その上で、それで健康が本当に良くなったのかどうかは、次の2階の部分としては必要ですが、そこがないからといって1階部分まで否定はできません。1階部分と2階部分が混在すると、教員が問題なのか、学生が問題なのかという話になりがちなので、こういう議論にはならないようにしたいですね。

飯吉:焼き鳥屋の例で何か付け足してコメントされることありますか。

山田:「雨漏りは直しましょう」というのを、全焼き鳥屋のグランドルールとするのはいいけれども、椅子の高さや形をどうするか、店内の音楽をどうするかといったところは、自分たちで決めればいい。お店の立地や大きさ、スタッフの数などによって、必要なものも変わるわけですから。でも、「何平米だったらテーブルは何個」というところまで、言われているような気がします。そこまでは言うべきでないのではというのが、私の立場です。

飯吉:椅子の高さにしても、背の高い人が来たらよくないと言われてしまうわけです。そこは相手をよく見ないといけません。

山田:そう思います。

飯吉:ISOのような共通基準は要ると思われますか。雨漏りみたいな話であれば、そういう基準はあったほうがいいのでしょうか。

山田:何もないのはよくないですし、分野にもよりますけれども、あまりにも細かく基準や観点を外から持ってきてガチガチに決めるのは、どうでしょう。「自分の大学はこれだ」というふうに決めていくプロセスがないところで、その枠を全部外に渡してもいいのだろうかと思います。「雨漏りはまずいよね」というところぐらいは、言ってほしいです。

飯吉:それと対極なのは、エンゲージメントでしょう。エンゲージメントが高まれば、それだけで、学生の満足感という意味での教育の質は、どんどん上がっていくはずです。ここについて、授業内外で取り組める例はありますか。

山田:文科省が言うようなことをそのままインストールして仕事してきた人間が、別の大学に行ったとたん全く通用しない、そんな経験をしてきました。枠組みに沿っているけど元気がない学生、教職員がいる一方で、枠組みはないけれども、自分の好きなことをニコニコとやっている学生、教職員がいる。「この違いは何だろう。大学はどこに行くべきなのか」ということを考えたときに、一つ出てきたのがこのエンゲージメントということでした。関与というのが私にとって非常に重要なキーワードだというところに行き着いたのです。質保証と対局するというよりも、質保証というものがある上で、乗ってくるものが、関与の質、関与の量なのだと思います。

飯吉:仏作って魂入れずとなってしまってはいけませんからね。

山田:そうですね。あるいは、北風と太陽という一面もあります。全く関与がないのに枠組みや規程だけがきれいに並べられて、学生と教職員の距離があいていてはよくないです。やはり、関与を生み出す規程や文書やルールというのも必要でしょう。そのためには自由度も必要ですが、極端すぎてもよくないので、その間を狙っていかないといけない。武器も魔法も両方使っていかなければと考えると、枠組みも必要です。しかし、枠組みで全部手取り足取り規定していくのは、これはノーです。そこは関与できる領分を、先生たちにも職員の方たちにも付与する必要があると思います。

その関与の在り方は、そんなに細かく言う必要はないと思っています。ただ一つ言えることは、学生に対して、ある人はすごく知的刺激をつけたいという関与の仕方もあるでしょうし、ある人は社会人として必要なコミュニケーション能力を持ってほしいと思うかもしれません。その学生に対する思いや熱が、関与というアクションになって出ていくのですから、形態や領域はなんでもいい。だけど、「あなたたちを社会に送り出す使命を、少なからず私は持っているのだよ」という姿勢を見せることを抜きにして、大学は語れないと思っています。そういう信頼空間が大学の中にあるかどうかが大切だと考え、それを言語化したくて、エンゲージメントという概念に着目しているのです。

飯吉:チャットのほうに質問が来ています。「学生が求めている質と、教員や大学が提供する質のレベルに相違がよくある。しかも、その学生の希望に応えられていれば必ず質が向上してくるわけでもない。しかし、それを無視していくと学生の不満が増えていくし、エンゲージメントも下がっていく。その辺りはどういうふうに乗り越えていけばよいか」というご質問です。確かに、朝寝坊したいからオンラインの授業にしてくれというのは、質の向上ではありませんね。

山田:残念ながら、全く学問、勉強に動機付けられていない、とにかくいい出会いがしたいだけという学生も、中にはいます。でも、そういう学生たちがいるということは、私たちは一回飲み込まないといけない。その上で、教員も多少自分が求める質のレベルを下げることもやむを得ないと思うのです。もともと大学の教員は、学ぶことに動機付けが高い人たちなので、そうでない人たちを理解できなかったり、受け入れられなかったり、否定してしまったりすることはあると思います。でもその人たちが自分の前にいる限りは、どうすれば少しでも聞こうと思えるか、そのためには、自分はどう変わらないといけないのか、一回教員自身が考えてみる必要があると思います。自分の在り方を学生の目線に落とす作業はしんどいですし、一定の水準まで引き上げていくことは難しいかもしれません。しかし、それをやらないと、いつまでたってもお互いが不幸な形になる気がします。最終的には、この大学で学べて良かったと思ってもらえるかどうか、そこを軸に考えてもいいのではないでしょうか。

飯吉:賛成です。これからは、そういうトレンドになっていくであろうと思います。DPのポイントをいくら稼いでも、外形的なチェックは通るけれども、教員も学生もハッピーにはなりませんから。

山田:「でも、予算も取らないといけないし」という窮状も、チャットからうかがえます。だからこそ、「僕らと一緒に仕事しませんか?」と声をかけたいと思います。補助金を取るために頑張っている人たちと、僕らみたいに、そういうこと抜きに、教育、学生のことを考えている人間が一緒になって、仏を作りながら、魂を入れていく。協働してやっていくしかないと思います。

飯吉:学生も、単にアンケートに答えるではなく、どういう体験をしたいのか、どういうふうに自分は育ちたいのかを考えて、質を高めていく部分に積極的に参加してもらうのがよいと思います。その場をいかにつくるかは、大学教員の努力次第ですね。

山田:チャットにも「焼き鳥やステーキの例の中で、料理ができるプロセスを教員・職員・学生が楽しめる方策はないでしょうか」という声があがっています。これができるのは、逆に大学ならではかもしれないですね。この店をどうしていけば良くなるかを、一緒に考えていく。教員と職員の教職協働に学生も入って、教・職・学でこのプロセスを味わっていく。これは素晴らしい考え方だと思います。

飯吉:一つ次元が加わって、展望が少し開けそうな予感がしてきました。山田先生どうもありがとうございました。

講演者

山田 剛史先生
関西大学
教育推進部 教授


神戸大学大学院総合人間科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は、教育学と心理学(特に、教育開発、学びと成長支援)。島根大学教育開発センター講師・准教授、愛媛大学教育企画室准教授、京都大学高等教育研究開発推進センター准教授を経て、2020年10月より現職。現在、初年次教育学会理事、日本青年心理学会常任理事、日本アカデミック・アドバイジング協会副会長などを務める。

インタビュアー

飯吉 透先生
京都大学 高等教育研究開発推進センター長・教授
兼任:大学院教育学研究科教授(高等教育開発論講座)
中央教育審議会大学分科会質保証システム部会 臨時委員


カーネギー財団知識メディア研究所 所長、東京大学大学院 情報学環 客員教授、
マサチューセッツ工科大学 教育イノベーション・テクノロジー局シニア・ストラテジスト、京都大学教育担当理事補等等を歴任。共編著書に『ウェブで学ぶオープンエデュケーションと知の革命』(共著、筑摩書 房)、「Opening Up Education」(MIT出版)等。

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※講演日:2021年6月24日(木)

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